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この地域の名所、旧跡について

ここ曽我の里は歴史豊かな地区です。地名からも推測できるように、日本三大敵討のひとつ『曽我物語』はこの地が舞台となっています。当時ここ曽我の里を治めていたのが領主『曽我太郎祐信』。後に曽我兄弟の義父となる事で物語は展開します(鎌倉時代)。また二宮尊徳の母『川久保よし』はここ別所地区から栢山へ嫁いでいます(江戸時代)。文学においては尾崎一雄を始め、太宰治・林芙美子・井伏鱒二 他 多くの文人が尾崎のもとを訪れています。ぜひ!これらの足跡をゆっくりと辿ってみてください。

梅まつり開催期間に合わせて、梅林近くに残る遺跡のご紹介とご案内ツアーを実施致します。詳細は下記のホームページをご覧ください。

曽我兄弟遺跡保存会HP 曽我兄弟遺跡巡り

宗我神社

曽我地区の総鎮守。大正12年関東大震災後復興。

城前寺(じょうぜんじ)

浄土宗芝増上寺の宗寺。曽我兄弟および虎御前の木造等、兄弟ゆかりの品々が伝わっています。昭和5年に本堂裏手に曽我兄弟・祐信・満江御前の供養塔(五輪塔)が造られました。

城前寺曽我兄弟供養塔
曽我兄弟曽我祐信

二宮尊徳遺髪塚

尊徳の母よしの実家は、旧曽我別所村の川久保太兵衛宅でありました。太兵衛の次男、民次郎は下野の国の桜町(栃木県二宮町)仕活時代尊徳に仕え、尊徳の死後、その遺髪を得て、曽我へ帰りました。この遺髪塚は、民次郎の遺言により孫の興三郎が、昭和13年に建てたものです。

二宮尊徳像

曽我兄弟の母、満江御前の墓

墓石は卵形の自然石で曽我兄弟の母、満江御前の墓と伝えられており、武藤家の子孫がこの墓の供養を現在も続けています。

満江御前の墓

太宰治ゆかりの「雄山荘」跡

2009年12月26日、太宰治ゆかりの旧別荘「雄山荘(ゆうざんそう)」が焼失いたしました。太宰の没後60年、生誕100年だったこともあり、多くの太宰ファンが訪れていただけに大変残念です。

太宰は下曽我の雄山荘で一人で暮らす「斜陽」のモデルとなった太田静子さんのもとに通い、その後「斜陽」を執筆しました。「斜陽」の舞台は伊豆ですが、作中の風景に下曽我に重なる描写が見られると言われています。

雄山荘雄山荘雄山荘


大根の浅漬け
販売日は2月10日(土)11日(日)12日(振替休)予定
梅の香うどん
観梅は公共交通機関で!

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