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周 辺 観 光 案 内

この地域の名所、旧跡について (場所はアクセスマップをご参照ください)

 宗我神社

曽我地区の総鎮守。大正12年関東大震災後復興。

 城前寺(じょうぜんじ)

浄土宗芝増上寺の宗寺。曽我兄弟および虎御前の木造等、兄弟ゆかりの品々が伝わっています。昭和5年に本堂裏手に曽我兄弟・祐信・満江御前の供養塔(五輪塔)が造られました。

城前寺曽我兄弟供養塔
曽我兄弟曽我祐信

 二宮尊徳遺髪塚

尊徳の母よしの実家は、旧曽我別所村の川久保太兵衛宅でありました。太兵衛の次男、民次郎は下野の国の桜町(栃木県二宮町)仕活時代尊徳に仕え、尊徳の死後、その遺髪を得て、曽我へ帰りました。この遺髪塚は、民次郎の遺言により孫の興三郎が、昭和13年に建てたものです。

二宮尊徳二宮尊徳遺髪塚

 曽我兄弟の母、満江御前の墓

墓石は卵形の自然石で曽我兄弟の母、満江御前の墓と伝えられており、武藤家の子孫がこの墓の供養を現在も続けています。

満江御前の墓

 太宰治ゆかりの「雄山荘」跡

2009年12月26日、太宰治ゆかりの旧別荘「雄山荘(ゆうざんそう)」が焼失いたしました。太宰の没後60年、生誕100年だったこともあり、多くの太宰ファンが訪れていただけに大変残念です。

太宰は下曽我の雄山荘で一人で暮らす「斜陽」のモデルとなった太田静子さんのもとに通い、その後「斜陽」を執筆しました。「斜陽」の舞台は伊豆ですが、作中の風景に下曽我に重なる描写が見られると言われています。

雄山荘雄山荘雄山荘


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